大山廃寺のミステリーに迫る!【大山廃寺跡】

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 国の史跡に指定されている「大山廃寺跡」。昭和50年代に小牧市が発掘調査を行った後、長く静かな歴史の中に引き戻され40年という月日が…。今、再び、大山廃寺のミステリーにスポットをあててみたく大山廃寺跡、児神社に出掛けてみました。

 大山廃寺。「江岩寺縁起」には「大山峰正福寺」と記され、通称「大山寺」と言われています。白鳳時代―大化の改新や平城京遷都の頃―に、山岳寺院として創建され、室町時代まで盛衰を繰り返したそうです。現在、建物などは残っていません。昭和4年に国の史跡指定を受けました。小牧市が行った発掘調査で出土した遺物は、小牧市歴史館で一部展示されています。

最大のエピソード

 大山寺は、仁平2年(1152)に僧兵の焼き討ちに遭い、寺は炎上。その時、寺にいた稚児僧2人が亡くなりました。その後、都の天皇が奇妙な病にとりつかれました。陰陽師が言うには「大山寺の稚児の霊を慰めると天皇の病気も治るだろう」と。
 都から使いがやってきて、久寿2年(1155)に児神社を創建し、2人の稚児僧の魂を慰めたと言われています。
 ちなみに、織田信長が小牧山城を作ったのが、永禄6年(1563)だから、それより400年以上も昔の話なのです。

何故、ミステリーなのか

 「西の比叡山延暦寺、東の大山寺」と言われるほど隆盛を極めたこと、「大山寺三千坊」と、たくさんの僧がいたことを物語っていること、焼き討ちをしたのは、三井寺(天台寺門宗の総本山)の僧だったということ等々、大山寺が地方の小さな寺ではなかったことを解く資料がそこかしこに…。
 一方、「これだけの隆盛を極めた大山寺の名前が、歴史的に名を残す文献に載っていないというのはなぜだろう」という問題を投げかける人もいます。
 たくさんの文献に書かれている、ほんの少しの大山寺に関する情報を紐解き、読み解き、やっとここまで解明されました。
大山廃寺のミステリーは、まだまだ続きそうです。

江岩寺に伝わる「江岩寺縁起」には、大山寺に関する史料も…。

江岩寺に伝わる「江岩寺縁起」には、大山寺に関する史料も…。

小牧自慢かな

 日本史に出てくるような寺院名、人物が、この小牧と、昔から繋がってきたとは、驚きを隠せません。
 この一帯は、県の自然環境保全地域特別地区に指定されていて、大山廃寺跡、児神社へ向かう道は、今なお自然がいっぱいで、ちょっとしたタイムスリップ気分も味わえそうです。

児神社に行く看板です。右の川沿いに登っていくと、江岩寺に着きます。

児神社に行く看板です。右の川沿いに登っていくと、江岩寺に着きます。

険しい山道を登っていくと、ここに到着します。 この奥に大山廃寺跡が広がっています。

険しい山道を登っていくと、ここに到着します。
この奥に大山廃寺跡が広がっています。

参考資料

小牧叢書3 大山廃寺遺跡概説
小牧の文化財散歩

編集後記
 文化財に造詣の深い人の「発掘すると壊れたり、風化してしまう」という言葉。では、ずっと土の中にしまっておくのか…。歴史に夢中になるという歴女(歴史好きな女性)の気持ちが分かるような気がします。そして、ここが小牧?というような大山廃寺跡周辺の大自然の姿に感動してしまいました(笑)。

今回の取材先
大山廃寺跡
住所:小牧市大山411他 
問合せ:教育委員会事務局 文化振興課 
電話番号:文化財係 ☎76・1189